2016年8月24日水曜日

Short temper will make me happy ???


木原です。

九州男児なんだよな。
父も短気だ。そう、祖父も短気だった。


だからといって感情的になって怒ってはいけないのだ。

いろいろな本やホームページにも書いてある。
確かにそうなのである。冷静にならなくていけない。
もちろん本に書いてあるから、なのではない。
これまでの経験で十分にわかっている。

しかし、努力を重ねて重ねてやっとこさ生み出した我が子のようなものである。
それを「出来が悪い」と言うかのようにコメントされると、腹が立つのである。

当然の感情だと思う。


私の場合 だいたいにおいて修正箇所がとても多いので、そのコメントが長々と続く。
そして、その修正に必要な労力を考えると一気に消沈してしまうのである。
そして、その感情の置き替えが怒りに油を注ぐのである。

中には、読んでねぇじゃねぇか!と明らかに判断できるコメントもあったりして、さらに腹が立つ。


何のことかって?
論文ですよ論文。

投稿した論文のレフリーコメントが返ってくると、だいたいこういう感情になる。
おお待っていたぜ、さぁさぁもうすぐアクセプトかぃ?と添付ファイルを開き、
沸々と怒りが湧いてくる。
そのいっぽうで、実はがっくりする。

こういう時は、少し忘れよう冷静になろうといったん放ったらかす。
2−3日、数日、10日以上・・・
だんだんだんだんウズウズしてくる。

結局は、
ここからなにもしなかったら努力は報われない。
一生懸命書いた論文だからパブリッシュまでもっていかないと、と気持を切り替えてレビューアのコメントに対応し始めるのである。
腹も立つがしかたない、と、じっくりじっくり読み込んでレビューアの意図を理解する。しようとする。
国際誌だからコメントは英文、それを何度も何度も読み返す。

時間をかけて何度も何度も


すると あれあれ? どうしたのでしょう!

「おめぇの論文は何が言いてぇんだい?べらんめぇ」
「ふんっ なんでこんな実験してんだい?」
「こんな飛躍した文章 良く書いてんな おめぇ 話の順序がおかしいんだよ!」
「この統計方法は使えるわけねぇじゃねーか」

はじめはこんなふうに読めて(いったい何弁?)あんなに腹が立っていたコメントが、

「この論文はこういう重要な価値があるのはとってもわかります。しかし、この部分の英語がわかりにくいので、もう少し表現方法を変えるとより伝わりますよ〜♥️」
「この実験はどうして行われたのでしょうか。そのことがわかるようにイントロあたりにほんのちょっとだけ説明を加えてはいかがでしょう。もっと良くなるんじゃないの♥️♥️」
「この飛躍についてはもう少し説明したほうがわかりやすくなりますが、話の順序を変えてみるといかがでしょう♥️♥️♥️」
「この統計方法はこの場合適用できません。しかし、○○の方法をやってみると良いでしょう。さぁ一緒に♥️♥️♥️♥️」

なんと、♥️4つのド親切コメントに見えるではないですか。
なんだ、レビューアたちは親切な方だったのね。
そうすると、
読んでねぇじゃねぇか!と明らかに判断できるコメントなんかは、私の表現方法が悪くてうまく伝わらなかったのね、ゴメンゴメンとこっちも急に丸くなるのである。
あ、ここのこれのことを言っていたのか、とようやく理解できる場合もある。

そうこうしながら集中力が増していき、長々とある修正をこなしていくのである。

おかしなもんです。
振り返るとほぼ毎回、これを繰り返している。

このレビューアのコメント、実はとても勉強になる。
好意的に丁寧に指導してくれる方もいる。
若かりし頃 このコメントのおかげで統計解析のやり方を学んだようなものである。
腹を立てているだけでは学べなかったことだ。
ありがたい。
こうやってお互いを高めあってきているのだ。
感情的になって怒ってはいけないのである。

短気は損気。

が、、、、
今回もぶん投げたくなるような怒りを覚え、しかしと冷静になり
ようやく修正をこなし
昨夜 修正版を投稿した。

こんな感じの、台風一過の晴れ晴れとした気分だ。



うーん、暑いうちに、浴びにいくか。

暑い夏の日には・・・な、ママダ