神部です。
今わたしは木原研究室にこもって電子ノートで自分の実験をまとめているのですが...。少々疲れたのでブログでも書こうかなって。
今日 2019年4月30日は平成最後の日ということで日本が何かと騒いでいます。自分からすると「平成が終わるからなんなんだ?」と思ってしまいますが、
でも実際自分もこうして平成の終わりを意識して、電子ノートを全て書き終えてしまおうとか、平成最後に木原研のブログを書いてみようとか思ってるわけですが。
平成最後だし(しつこい)、せっかく木原研のブログなので、私が大学に入ってから木原研に入るまでの話をしてみようと思います。ちょっと真面目な話になるかもしれませんが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
入学当初から大学2年生くらいまで、木原研には正直入るつもりはなかったんです。そもそもこの研究室を深く知らなかったというのもありますが、自分は遺伝やサメに興味があったので、別の研究室に入ろうと思っていました。
ところが2年生後期のある授業で木原研の研究内容を知る機会があり、先生の研究に対する考え方とかを聞かされてから、コロッて気持ちが変わったんです。その時の授業内容や書いたレポートの内容は鮮明に覚えています。
そこから2年生を終え、英検を取得したかったので3年生の春休みは英語の勉強をする傍ら、常に魚類生理学・生化学の本を持ち歩いてはノートに書いて勉強していました。
書いて覚える派です。 汚い字で。。。でも絵は丁寧に書いてました。
まぁ、そんなかんじで望んでこの研究室に来たわけですが、何せ右も左もわからない状態で入ったので最初はかなりわちゃわちゃしました(笑)。今もわちゃわちゃですが、ある程度落ち着いてきた気がします。好きなことを思いっきり勉強できている今の環境はとても幸せです。
急に話は変わるのですが、、
中学1年生の頃から私は水族館飼育員になりたかったのですが、この研究室に入る少し前に、それを目指すことをやめてしまいました。いろんな先生や友人に相談して、自分なりに真剣に悩んだ結果、やはり少々生活が苦しいなどの理由から飼育員を目指さなくなってしまいました。
夢を失った瞬間から自分は抜け殻のようになってしまいました。これまで必死に追いかけてきたものが、目標がなくなってしまったので、どこに向かって頑張ればいいのか分からなくなってしまったのです。
そこで自分がとった行動は、「自分の夢を語ってきた人たちに、夢を失ったことを話す」ことでした。
自分でも何をしたらいいか分からなかったので、ひたすらいろんな人に話をしました。幸い自分はたくさんの人に夢を語ってきたので
すると、海洋や水産の職業についてあまり知らない人たちは、「じゃあ水槽作る人やれば?」とか「魚の運搬すれば?」とかいう提案をしてくるのです。
提案自体はありがたいのですが、、、。なんかこう、自分がやりたくないことばかり列挙してくるので、当時はあんまり深く受け入れてなかったのですが...笑
でも、そこで初めて「俺って結構やりたくないことははっきりしてるな。」って思ったんです。
すると勝手に自分がなんとなくやりたいことが見つかってきました。多くの人に話していて一度も「あー!それそれ!俺はそれをやりたいんだよ!!」みたいな案には出会いませんでした。しかし、皆が列挙してくれた将来の道を「いやー、それはちょっと、」とか「それは違うんだよなぁ」と否定していくうちに、自然と道ができていたんです。
自分がやりたくないことを消していって、やりたいことを見つけていく。
今ではなんとなくですがやりたいことは決まっています。まだはっきりとしませんが、それがきっとこの研究室に関係した何かあることであるのは確かです。
何が言いたかったかっていうと、
自分の夢をいろんな人に話すことはすごく大切なことなんだな ってことと、
これからもこの研究室で頑張っていきたいってことと、
平成最後の木原研ブログは僕がいただいた
ってことです。
それでは皆さん、令和も頑張っていきましょう!!!